『ウィトゲンシュタインはこう考えた』鬼界彰夫

7/27読了。今年75冊目。
ウィトゲンシュタインの思考の軌跡を1冊の新書で解説する試み。言うまでもなく、ウィトゲンシュタインは20世紀最大の哲学者のひとり。前期は厳密な論理のもとに『論理哲学論考』を書き上げ、17年間のブランクの後、後期の仕事として『哲学探究』を書いた。『哲学探究』の言語ゲーム論は柄谷行人『探究1』にも引用されている。前期から後期にかけての思想の転換がどのようなものだったのかに注目して読んだ。
全体の流れを自分なりに大雑把にまとめると、以下のようになる。正確さよりも自分の言葉でまとめることを重視した。
まず、前期の思想を「言語をめぐる思考」と「生をめぐる思考」の二つにわける。言語は論理と一致する極大言語だから、すべての語られうることは明晰に語られうる。その裏に「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」という有名な命題が存在する。
「生をめぐる思考」では、「言語をめぐる思考」を支えるものとして、独我論が示される。それは「世界は私の世界である」という命題に表れている。ウィトゲンシュタインは戦争のなかで、神と向き合い、生はそれ自体で意味ある生なのだと確信する。
後期の思想は、前期の思想が厳密さを求めるがゆえに切り捨てた日常の曖昧な部分を取り入れることで始まる。後期の核心は、「規則に従う」とはどういうことか、という問いにある。誰も自分が規則に従っていることを証明できない。そしてウィトゲンシュタインは、日常は言語ゲームの集合として捉え、人が思考するうえで前提とせずにはいられない基礎の概念は制度的存在であると結論づける。
最終章では、ウィトゲンシュタインが死の直前まで考えていた確実性の問題が扱われる。「私は……と知っている」という表現で確実性を補強することについて書かれている。
ウィトゲンシュタインの著作だけでなく、彼の草稿や日記まで丹念に読み解かれていることが読んでいて伝わってきた。記述は常に誠実さを保っていて、しっかり読めば素人にも理解できるように書かれている。新書で400ページも分量があるが、一人の哲学者の生涯の思索の過程をひととおり追っているのだから、むしろよく凝縮されていると言うべきだ。