『黒猫・アッシャー家の崩壊』エドガー・アラン・ポー(巽孝之訳)

黒猫・アッシャー家の崩壊 ポー短編集? ゴシック編 (新潮文庫)

黒猫・アッシャー家の崩壊 ポー短編集? ゴシック編 (新潮文庫)

11/1読了。今年105冊目。
ポー生誕200周年を記念して編まれた傑作短篇集の一冊。こっちにはゴシックとかホラーとかそういう種類の短編が収録されている。「黒猫」「赤き死の仮面」「ライジーア」「落とし穴と振り子」「ウィリアム・ウィルソン」「アッシャー家の崩壊」の6編。ちなみにもう一冊は「ミステリ編」といって、ミステリの先駆となった短編たちが収められている。

「落とし穴と振り子」

このはてなダイアリーを遡っていくと、ぼくはこの短編を15歳のときにも読んだらしい*1。読書メモをつけているとこういうときに読み方の変化がわかって楽しい。
異端審問にかけられてじわじわと死に近づいていく恐怖が記されたホラー小説なのだけど、最近異端審問に関する本を数冊読んだ(感想は書いていないけれど)ので、そういう側面ばかり気になった。たぶん過去に読んだときにはそんなことはまったく意識にのぼらなかった。時代背景に注目して逆に小説の本質からは遠ざかってしまった気がするし、知識は小説を読むのに役立つ一方というわけにはいかないな、と思った。

ウィリアム・ウィルソン

いわゆるドッペルゲンガーもの。語り手は思うがままに生きているが、どうしても思い通りにならないことがあって、そういうときに決まって姿を見せる人物がいる。彼は語り手と顔も動作もそっくりだという。安藤礼二がどこかの文芸誌で「ゼロ年代はポーの時代だった」みたいなことを述べていたけれど、確かにゼロ年代的なテーマを先駆していると感じた。でも、どこがゼロ年代的なのか、具体的にゼロ年代のどの小説に似ているのか、考えてみたけれどさっぱりわからない。それはポーの影響が時代の無意識に浸透してしまったとも言えるし、逆にポーの小説がどことなく現代っぽいだけかもしれない。安藤礼二のその論考は冒頭だけしか読んでないので、いつか機会があれば読む。

「アッシャー家の崩壊」

ポーはあまりに多彩な側面をもつ作家だから最上の短編というものを選ぶことはできないけれど、「アッシャー家の崩壊」が到達点の一つであることはきっと間違いない。格調高い文章に冒頭から圧倒され、詩が埋めこまれ多数の書物の題名が引用されるという重層的な構成、外界から遮断され憂鬱が支配する神話的な空気感、時代を超えて鮮烈なイメージをもたらす結末。19世紀にこんな小説があったことに驚く。新しい要素が次から次へと投入され、決して難解ではないのに、どれだけ読んでも読みきることのできないような得体の知れなさを感じさせる。フォークナーはこれを引き継ごうとしたのだと思う。フォークナーが没落する南部の血筋を書き記すときに現れる圧倒的な神話の力が、ここにも垣間見える。巽孝之の簡潔で読みやすい訳文も好きだけれど、「アッシャー家の崩壊」は時代がかった読みにくい翻訳で読んだほうが雰囲気に合っているかもしれないので、次は別の翻訳で読んでみたい。