『グランド・フィナーレ』阿部和重

グランド・フィナーレ

グランド・フィナーレ

11/6読了。今年106冊目。
シンセミア』と『ピストルズ』の間に書かれた作品集。

グランド・フィナーレ

芥川賞受賞作。二部構成になっていて、第一部は「わたし」が離婚して会うことのできなくなった娘をひと目見るために奮闘するが、若い友人に離婚に至った過程を話して強く拒絶され神町の実家に帰るまで。第二部では神町で閉塞した日々を過ごしていた「わたし」が、小学生の女の子二人の演劇の指導をするうちに擦り切れた人格を徐々に回復させていく。「わたし」が離婚することになった理由はロリコン趣味が大いに関係していて、この小説が紹介されるときにはそこがクローズアップされることが多いが、阿部和重が現代的な題材をサンプリングするのはほとんど習慣みたいなものだろう。全編にわたって真面目くさっているけどちょっとずれた比喩が多用され、読者の感覚は脱臼され続ける。ときどき笑える。
東京の第一部と神町の第二部がまったく違った感性で書かれていて、きれいな対照をなしている。そして「わたし」の心情の変化は、そのまま東京から神町への移行に対応している。「わたし」が回復していく過程が、罪の意識が克服されて新たな自己が正当化されるという素直な更生としては描かれず、娘とは関係の無い少女二人を極めて真っ当に救うという間接的な方法がとられるのは面白い。しゃちほこばった語り口調のせいで「わたし」が結局何を考えているのかよくわからないから、開かれた結末は本当に先がどうなるのかわからず、読者は困惑してしまう。
全体の構成はよくできているし、いろいろな読み方ができそうだ。だけれど、ぼくは阿部和重に過剰な期待をもっているので、満足することはできない。神町サーガの一部分だからよいものの、ひとつの小説としてはあまり面白いとは思えない。阿部和重にしか書けない小説だ、という満足感がない。逆に考えると、ひとつの小説としてではなく、神町サーガの一部としてなら評価できるかもしれない。『ピストルズ』に期待したい。

「馬小屋の乙女」

阿部和重のばかばかしいところを凝縮したような短編。楽しかった。こういうのがたまに読みたくなる。

「新宿ヨドバシカメラ

ABC戦争」の冒頭みたいな感じ。下ネタと現代思想。こういうのもたまに読みたくなる。

「20世紀」

予言をする老人が登場する。神町サーガの世界観を補強するような内容。でも単独で見た場合には特にどうということはない短編。