『きみとぼくの壊れた世界』西尾維新

きみとぼくの壊れた世界 (講談社ノベルス)

きみとぼくの壊れた世界 (講談社ノベルス)

5/8読了。今年48冊目。
『神話が考える』の前準備。書店で『神話が考える』を立ち読みしていたら、50ページくらいから西尾維新の批評が始まったので、別に西尾維新の小説を読まなくても理解できるように書かれているだろうけれど、まあせっかくだから読んでみようと思って『神話が考える』はそこで中断し、帰りに近所の図書館に寄って西尾維新を二冊借りた。
自分の読書傾向を考えると、西尾維新をほとんど読んでいないのは少しずれているのかもしれない。西尾維新東浩紀周辺の批評の文脈においてゼロ年代の最重要作家のひとりで、同時に佐藤友哉舞城王太郎とともにファウストで一時代を築き上げた作家でもある。だからそれなりに期待して去年の夏に『クビキリサイクル』を読んだけれど今ひとつ面白さがわからなかった。文体や展開や他にも色々苦手な要素はあるけど、どうしても佐藤友哉と比べずにはいられないのが根本的な原因なのかもしれない。
残念ながら『きみとぼくの壊れた世界』を読むことでその印象が塗り替えられることはなかったのだけれど、『クビキリサイクル』よりは楽しく読めた。もともと続編が書かれる予定はなかったらしく、1巻で綺麗に完結している。普通にミステリとしてもよくできているし、ミステリの枠組みを疑う小説としても面白い。また、批評的な文脈においてもとてもよくできた小説だと思う。村上春樹のデタッチメント/コミットメントの問題から、セカイ系とか美少女ゲームの構造まで行き届いている。