なんとなくだらだらとぼくらの世代の作家について

Twitter検索で佐藤友哉に言及している人を見ると、大学生が多い。つまり、ファウスト全盛期に中高生だった世代であり、そのころの名残として今も読んでいるような人たち。佐藤友哉はもう『デンデラ』で純文学作家として大成したという噂も聞く。それではぼく(1992年生まれ)の世代にとってのそういう作家は誰なんだろう。佐藤友哉の影響を受けてデビューしたようないわゆる佐藤友哉フォロワーは、グーグルで検索してみたところ、講談社BOXで書いているような人たち(鏡征爾や小柳粒男)らしい。残念ながら講談社BOXは値段が高いし、図書館も置いてくれないから読む機会がないけど。しかし、世代が変われば経験してきたことも変わるだろうから、ただフォロワーというだけでは不足かもしれない。そう思って周囲を見回してみると、オタクな人たちはライトノベルを読んでいるし、それ以外の人は村上春樹を読んでいるという傾向がある。なるほど、ライトノベル作家の中に紛れているのかもしれないと思ったけど、やっぱりライトノベルは図書館があまり置いてくれない。女子の場合はケータイ小説なのだから、それに対応するものとして、やっぱりライトノベルが有力だろうか。現代文学/純文学ではやっぱり舞城王太郎古川日出男あたりだろうけど、この人たちは少し上の世代である気がする。けっきょくのところ、ジャンルの細分化はどんどん進んでしまって、純文学の読者とライトノベルの読者とミステリーの読者をすべて巻き込むことが難しくなっているのだろう。『1000の小説とバックベアード』もそういえばそういう内容だった。そんな頻繁にジャンルを超えて読まれる作家なんて生まれないのは当たり前か。むしろ、ジャンルについて考えるのが世代的なのかもしれない。