『ボディ・アーティスト』ドン・デリーロ(上岡伸雄訳)
- 作者: ドン・デリーロ,上岡伸雄
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2011/07/08
- メディア: 文庫
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ドン・デリーロがどんな作家なのかは知らない。『ボディ・アーティスト』は言葉と身体を書き換え、そしてまた戻ってくる。人里離れて住む夫婦の朝の情景からはじまる。その手つきの繊細さ、高価な陶器を運ぶような緊張感に絡めとられる。その情景を支えている事実、男性と女性が一人ずついて、ダイニングルームで朝食をとるという事実が失われて、つまり男性が死んで、それも昔の妻のところに行ってピストルで自殺して、その場所に何が残るのか。でもその問いは撤回される。見知らぬ青年が現れる。家のなかから、二人だけしかいないと思っていた家のなかから。彼は一度に四つの単語しか話さない。「たくさん雨が降った」とか「海に孤立して」とか。言葉が前に迫り出してくる。彼女は言葉の断片しか話さない彼と会話する。その体験が結果的に、彼女の恢復をうながすのだけれど、それは、ばらばらになった言葉のがらくたのような愛らしさに気づき、そのことは身体についても、他者についても当て嵌まると気づいたということだ。小説の最後で、彼女は自分の身体を改造し、他者の記号を身にまとい、ローレン・ハートケとして舞台に上がる。
青年は、時間と空間を無秩序に捉える。彼には過去から未来へ一様に流れる時間はなく、ただ散らかった断片があるだけだ。彼は未来の言葉も過去の言葉も話すことができる。やがて誰かが口にすることになる言葉を発したり、過去にどこかで話された言葉をそのまま再現する。その影響を受けるかのように、語りは人称や時制の狭間をふらふらと浮遊する。彼女が自分の身体のところに戻ってくるのは、青年がどこかに行ってしまい、家に取り残され、言葉がなくなったときだ。確かに喪失と恢復があるのに、まるで微熱をかかえて日々を過ごすような、意識に留め金をあてるような気分がずっと続いた。