『ボディ・アーティスト』ドン・デリーロ(上岡伸雄訳)

ボディ・アーティスト (ちくま文庫)

ボディ・アーティスト (ちくま文庫)

宙に投げられた言葉が、誰の元にも辿り着かず、台所の床に落ちる。その言葉は多くの場合そのままにされるけれど、何かの拍子に拾われ、またそこから会話が始まる。そういった空気の摩擦のような違和感。言葉が明確なかたちを帯びる、ざらざらした肌触りを感じさせる。それはまるで、長いあいだじっとしていたあと不意に動き出そうとして、慣れ親しんだはずの自分の身体に異物のような感触を覚えるのに似ている。言葉は自由な領域だと信じたくなるけれど、過信はあっけなく裏切られ、あるとき言葉はうねうねと自生し始める。
ドン・デリーロがどんな作家なのかは知らない。『ボディ・アーティスト』は言葉と身体を書き換え、そしてまた戻ってくる。人里離れて住む夫婦の朝の情景からはじまる。その手つきの繊細さ、高価な陶器を運ぶような緊張感に絡めとられる。その情景を支えている事実、男性と女性が一人ずついて、ダイニングルームで朝食をとるという事実が失われて、つまり男性が死んで、それも昔の妻のところに行ってピストルで自殺して、その場所に何が残るのか。でもその問いは撤回される。見知らぬ青年が現れる。家のなかから、二人だけしかいないと思っていた家のなかから。彼は一度に四つの単語しか話さない。「たくさん雨が降った」とか「海に孤立して」とか。言葉が前に迫り出してくる。彼女は言葉の断片しか話さない彼と会話する。その体験が結果的に、彼女の恢復をうながすのだけれど、それは、ばらばらになった言葉のがらくたのような愛らしさに気づき、そのことは身体についても、他者についても当て嵌まると気づいたということだ。小説の最後で、彼女は自分の身体を改造し、他者の記号を身にまとい、ローレン・ハートケとして舞台に上がる。
青年は、時間と空間を無秩序に捉える。彼には過去から未来へ一様に流れる時間はなく、ただ散らかった断片があるだけだ。彼は未来の言葉も過去の言葉も話すことができる。やがて誰かが口にすることになる言葉を発したり、過去にどこかで話された言葉をそのまま再現する。その影響を受けるかのように、語りは人称や時制の狭間をふらふらと浮遊する。彼女が自分の身体のところに戻ってくるのは、青年がどこかに行ってしまい、家に取り残され、言葉がなくなったときだ。確かに喪失と恢復があるのに、まるで微熱をかかえて日々を過ごすような、意識に留め金をあてるような気分がずっと続いた。