『八月の光』ウィリアム・フォークナー(加島祥造訳)

八月の光 (新潮文庫)

八月の光 (新潮文庫)

八月のうちに読みたかったけれど、九月になってもまだ半分くらいまでしか読めていなかったので、朝から夜遅くまで電車に乗り続けて(青春18きっぷ)、北陸の涼しげな夏の終わりの風景に目を逸らしたりしながら、一日かけて読み終わった。とても長かったので、疲れてしまったのも事実だけれど、読み終わったときにその長さは意義のある長さなのだと思えた。
ある夏にジェファソンで起こった一連の事件と、その周辺の人々のとった行動、そして彼らの背負っている過去が、どっしりした文体で語られる。『アブサロム、アブサロム!』や『響きと怒り』のような実験的な文体は用いられていないので、その分それぞれの登場人物の性質や来歴を誠実に描き出すことに重点が置かれている。『アブサロム、アブサロム!』や『響きと怒り』がひとつの家系に焦点をあてていたことを思い出せば、『八月の光』の人物たちが、アラバマからやってきた妊婦から黒人の血をひく謎の多い過去をもつ男性、牧師をやめてしまった老人、平凡な労働者まで各々まったくちがう身分や人生を抱えていることがよくわかる。
そういった意味で、『八月の光』はすごくまっとうな群像劇だ。殺人事件、新しい命の誕生、唐突な死といった出来事が、何度も時系列を遡りなおして別々の角度から語られることで、謎が解けていく。群像劇というシンプルな物語に、黒人差別やアメリカ南部の血縁といったフォークナーらしい要素が加わり、それを詩情に溢れた南部の夏の粘っこさを思わせる文体に通すことで、多彩な世界観を複雑に内包する小説になっている。
出生に謎を抱えアイデンティティが不安定なジョー・クリスマスや、自分を世間とは無関係な人間だと位置づけながらも人生の悲哀を感じさせるハイタワー牧師など興味深い登場人物は多々いるが、一見平凡に思えるバイロン・バンチもとても魅力的な人物だと思う。彼はジェファソンの工場で働く真面目な独身男性で、『八月の光』の事件に関わる積極的な理由はない。彼はただ、事件関係者の一人に名前が似ているというただそれだけで、事件の渦中へと引きずり込まれる。もし彼がちがった名前だったなら、きっと今も平凡な工場労働者のままだっただろう。バイロン・バンチは自分の果たせる役目を終えてジェファソンを去ることを決意するが、小説はそれを許してはくれない。彼は偶然に物語が駆動される『八月の光』を象徴するような登場人物だと言える。

いま僕は虚無の世界への入口にいるみたいなんだ。ひとたびこの境を越えれば、たちまち虚無の中に乗りこんじまう。そこでは樹は樹のように見えながら樹でない別の名で呼ばれ、そして人間はそう見えながらも人間でない何か別のものとして呼ばれる。バイロン・バンチは存在しなくてもいいしバイロン・バンチでなくたっていい。(549頁)

八月の光』は語りを重層化しないことで、茫漠とした現実を文体レベルで処理しない誠実さを保っているように思えるけれど、むきだしの現実に接近することは可能だという傲慢さが感じられもする。また、登場人物の行動をすべて過去に遡って解決するのは、軽薄なフロイト解釈のようなむずがゆさがある。『八月の光』は素晴らしい小説だけれど、『アブサロム、アブサロム!』や『響きと怒り』の前半のような文体の方が、結果的に壮大で悲惨な風景を表現できているのではないか、と思った。