『冬の夜ひとりの旅人が』イタロ・カルヴィーノ(脇功訳)

冬の夜ひとりの旅人が (ちくま文庫)

冬の夜ひとりの旅人が (ちくま文庫)

イタロ・カルヴィーノの1979年の作品。冬の静けさを感じさせる素晴らしい作品だった。
「あなたはイタロ・カルヴィーノの新しい小説『冬の夜ひとりの旅人が』を読み始めようとしている」という奇妙な冒頭から作者は語り出す。まるで作者が読者に直接語りかけているかのように。でもやがて、作者が語りかけているのは厳密には読者自身ではなく、「男性読者」という一人のキャラクターだとわかってくる。「男性読者」は『冬の夜ひとりの旅人が』という小説をじっさいに読み始めるが、その小説はいま現実の読者が読んでいる『冬の夜ひとりの旅人が』とは別の小説だ。「男性読者」は作中作の『冬の夜ひとりの旅人が』に引き込まれてゆくが、困ったことにその小説は物語の途中で冒頭に返って同じ文章を繰り返し始める。このようにして「男性読者」はこのあともずっと、読み始めた小説は唐突に行き止まり、最後まで読むことができない。現実の方の『冬の夜ひとりの旅人が』は、読者が小説の続きを求めて彷徨する小説だというのが最も相応しい説明だと思う。
その書物が不良品であることに気づいた「男性読者」は、本屋に交換してもらいに行く。そこで彼は「女性読者」と出会う。彼女は会うたびに読みたい小説の特徴を述べるが、その特徴というのがいつも異なっている。そして彼女が述べるような特徴をもった小説の冒頭が挿入されるが、その小説は世界が動き始めたところで終わってしまう。「男性読者」と「女性読者」の遍歴の章と互いに独立した小説の冒頭とが交互に積み重ねられ、現実と虚構の境界を融解させながら、ときには不穏に、ときには幻想的に、作者は物語る。
「女性読者」は理想的な読者として登場する。書物に記してあることをそのまま読みとり、言葉を自己に同化させる。一方で彼女はひとりの魅力的な女性でもあり、神出鬼没に現れたり消えたりする。「男性読者」は彼女に恋心を抱く(ことを作者に半ば強要されている)。「男性読者」が世界中を奔走するのは小説の続きを読むためだけれど、それと同時に彼女を追いかけるためでもある。小説を理想的なかたちで読むこと・書くことが、彼女の存在へと辿り着くことそのものであり、辿り着くための手段でもある。小説と作者の関係を攪乱する翻訳者エルメス・マラーナや、小説を過剰に即物的に分析し定型的に読み解く「女性読者」の姉といった人物が登場し、理想的な小説を妨げようとする。小説の続きを書けなくなった作家サイラス・フラナリーは、書き手の立場から小説の続きを模索する。
「男性読者」が探し求める小説とは何だったのだろう。本当に小説には始まりと終わりが必要なのだろうか。挿入される10の小説の断片は終わりをもたないが、『冬の夜ひとりの旅人が』という小説には結末が用意されている。「男性読者」は小説の断片の続きを読むことはできないまま、自分自身によって編み上げる小説を終わらせることを決断する。この小説は断片だったが、断片のまま有機的なまとまりをなして、始まりと終わりを得たのだと思う。
ここまでに書いたすべてのコメントは、個々のエピソードの面白さの前ではまったく意味をなさない。冒頭の読者への呼びかけに始まり、つねに読者を幻惑する仕掛けが絶えない。文体は特殊なレトリックは使われていないのに詩的で、冬の夜の空気の冷たさを想起させる。読み始めたら本を置くことを忘れてしまう。海外文学の多様な世界を凝縮したような小説だった。