『純潔ブルースプリング』十文字青

純潔ブルースプリング

純潔ブルースプリング

10/13読了。今年98冊目。
少しだけ『絶望同盟』に似ている。この二つの小説を読むと十文字青の風景を垣間見ることができる気がする。十文字青を読むのは3冊目なのではっきりしたことは言えないけど、十文字青が描き出すコミュニティーでは、表裏一体の絶望と希望が入り交じりながら人と人が関わり合う。『絶望同盟』ではそれ自体が主題になっていた。『純潔ブルースプリング』という小説のなかでは、その風景があるときは文体に、あるときは世界設定に織り込まれている。
『純潔ブルースプリング』はあまり複雑な小説ではないし、暗い小説でもない。なんといっても男の子が女の子を救いに行く小説なのだから、底抜けに明るい小説だと言っても怒られないだろう。彼らはいつもハイテンションで、時間は凝縮され、周囲を置いていく勢いで行動する。彼らの真剣さは、しばしば読者に滑稽に映り、笑いを引き起こす。そしてモノローグが遅れてやってくる。十文字青の登場人物は、内面と外面が乖離しているような、あるいは内面の存在自体を疑っているような、そういう人たちではない。彼らはそんな絶望を知り尽くしていて、だからといってそこから目を逸らしたりしない。彼らはそんな絶望が希望に姿を変える瞬間を探している。独り言をつぶやくようにおしゃべりすることはできないけれど、友達と一緒にいることはきっと楽しい。
『絶望同盟』の結末で一年後に控える受験のことが執拗に話題にあがるけれど、『純潔ブルースプリング』では月が降ってきて人類が死滅するという文字通り「世界の終わり」が青春の終わりを思い出させる。ニュースでは毎日月が降ってくるまでの予想年数を放送していて、登場人物たちもそれを見る。やがて月が降ってくることは当たり前のことで、いまさら言い立てることではない。その設定が物語に影響するわけでもない。青春がやがて終わることへの恐怖はいつだって無意識に潜んでいて、それは紛れもなく絶望だ。でも彼らの無意識にのしかかるその絶望は、もはや生活の一部になっている。今の生活がどこに向かおうとも、その絶望のなかで肯定的に処理できる。どれだけ物語が展開しても彼らがずっといい友達でいられるのはやがて世界が終わるからだと言っても、怒られないと思う。