『長いお別れ』レイモンド・チャンドラー(清水俊二・訳)

7/7読了。今年69冊目。
ハードボイルドの巨匠・チャンドラーの代表作。ハードボイルド風の小説は読んだことがあるけれど、純粋なハードボイルド小説を読むのはたぶん初めて。村上春樹訳と清水俊二訳とで迷い、ハードボイルド独特の雰囲気が感じられることを期待して清水俊二訳を選んだ。村上春樹はどんな文章を書いても村上春樹の個性が色濃く出てしまうと思う(良い意味でも悪い意味でも)。
フィリップ・マーロウは思ったことをオブラートに包まずそのまま率直に述べることを信条にしているらしい。私立探偵として儲けることを考えず、クライアントにも正直に話す。表面的には冷たい人間に見えるが、情に厚く、テリー・レノックスとの友情が『長いお別れ』の主題のひとつだ。
この人物造型はとても意外だった。仮面ライダーダブル(チャンドラーを読もうと思ったきっかけのひとつ)はハードボイルドに憧れる私立探偵が仮面ライダーに変身して事件を解決するドラマで、探偵事務所の机には『長いお別れ』が新旧の訳で3冊くらい並べられ、フィリップという人物も登場する。そのハードボイルドに憧れる私立探偵がやたらきざなセリフを吐くので、きっとチャンドラーはきざな小説を書くのだろうと勘違いしていた。
ハードボイルドは推理小説としては面白くないという偏見があったから、あまり事件の展開には期待していなかったけれど、これがとても面白かった。確かに本格とはだいぶ違うが、人物造型がしっかりしているので、殺人事件が起こるたびにショックを受けるし、犯人が明かされるだけでも驚きがある。
『神話が考える』では、チャンドラーの「小さきもの」の重視が指摘されていた。それは読んでいて納得できる描写がたくさんあった。もうひとつ指摘されていた、主人公が操っているのか操られているのかわからない女性的な主体であるという点は、マーロウが不可避に事件に巻き込まれていく様子に見ることができる。
でもむしろ、マーロウの精神分析に肯定的なのか否定的なのかはっきりしない態度がおもしろかった。柄谷行人坂口安吾の歴史探究や夏目漱石彼岸過迄』の敬太郎に精神分析的=探偵小説的な主体を発見していた。マーロウは、ホームズなどの初期の探偵小説の探偵とは違って、あくまで職業として探偵業を営む。だから精神分析的な主体から脱却しようとしてもできない、そういう曖昧なところでとどまっているのかもしれないと図式的に考えた。