『天帝のめでたまう孤島』古野まほろ

天帝の愛でたまう孤島 (講談社ノベルス)

天帝の愛でたまう孤島 (講談社ノベルス)

6/26読了。今年65冊目。
天帝シリーズの3作目。高校、寝台列車に続いて、今回の舞台は孤島。洋館があり、外部との連絡は絶たれ、嵐のなか連絡線が迎えに来るはずもなく、つまりクローズドサークルが成立し、そして死神仮面が密室連続殺人を執行する。新本格を彷彿させる要素がここかしこに散りばめられ、結末には青春小説が訪れる。
そもそもの前提として、『天帝のはしたなき果実』は奇跡だった。文章を構成するすべての文字に青春と哀愁が詰まっているような、作家の実存が賭けられた小説だった。『果実』の密度はそのまま作家の青春の密度で、人生の一回性への祈りみたいなものだった。だからたぶん、古野まほろは『果実』を超える小説は書かない、書いてしまってはいけない。
よって、古野まほろの他の作品を読むことは、すでに至高の瞬間は過ぎ去ってしまった現実を受け入れ、物語に続きがあることを認めるという過程を必然的に含む。それはまるで、終わりかけの思春期みたいな現実感のない行為だ。ぼくはそういうふうに古野まほろを読む。
でもそこには過剰なルビが、執拗な衒学が、迂遠な文体が広がっている。確かに『果実』より軽薄かもしれないけれど、まぎれもなく『果実』と同じ世界だ。完璧な世界を完璧なまま放っておくことはできず、世界がいびつになることを許してでも、続きを求めてしまう。ただ続きがあることを純粋に喜べるようになるために、先へ進もうと思う。