『ギートステイト』東浩紀, 桜坂洋

5/22読了。
読み始めたのは去年の秋くらいなのだけれど、ブラウザで文章を読んでいるとつい別のタブに目がいってしまうもので、なかなか進まなかった。そうやってもたもたしていると今年の春になって公式サイトが消されてしまい、ウェブアーカイブで探してきて急いで読んだ。
東浩紀ポストモダン社会についてのアイデアは、朝生のいわゆる東無双以来、急速に注目を浴び始めた。ぼくの把握している限りでは、ised(最近書籍化もされた)→ギートステイト→一般意思2.0という流れですこしずつ変化しているものの、基本的な姿勢は一貫している。情報化と資本主義が社会の隅々まで浸透し、綿密に設計されたアーキテクチャが人と人との相互調整機構としてはたらく。そのうえで必要になるものとして、新しい政治システムやショッピングモールのある郊外の風景が提示される。
ギートステイト』は、桜坂洋の書く小説パートと、東浩紀の書く解説パートからなる。残念ながらこの企画は中途で頓挫してしまっているので、小説はちょうど起承転結の承から転に移ろうかというところでぷっつりと終わっている。未来社会で同時多発的に起こる事件を少女から老人まで多世代の人々の視点から構築する、という群像劇が展開されているのだけれど、それがいったいどのような物語になる予定だったのか判然としないまま、唐突に途切れている。
東浩紀の解説パートは、2045年Wikipediaの記事を模した文章や、架空のブログからの引用や、あるいは心理学者・下條信輔東浩紀の対談だったりする。トピック毎に整理されていて、アイデアがぎっしりと詰まっているので単独でも面白い。ゲームプレイワーキングや検索性同一性障害などのメインのアイデアは、それだけで一つのSF小説がつくれそうなくらいによく練られている。
ギートステイトが完結しなかったこと自体は残念なことなのだけれど、批評家と小説家の共作で何ができるかというテーマは『キャラクターズ』で更に全面的に扱われ、検索性同一性障害などの一部のアイデアは『クォンタム・ファミリーズ』の2035年の未来に再登場することになる。最近の活動を追えば、『ギートステイト』の可能性が確かに活かされているのだと知ることができる。これからも、ギートステイトとともに失われてしまった可能性が、他のコンテンツのなかにもう一度発見できることを期待しようと思う。