『デンデラ』佐藤友哉

デンデラ

デンデラ

3/26読了。今年37冊目。
感想を500字くらい書いたところで行き詰まった。『デンデラ』を読みながら思ったことや気づいたことを黙々と書き連ねていって、急にそれ以上書けなくなった。ぼくは佐藤友哉の小説の感想を書くのはいつも楽しくて、ほとんど自分語りみたいな感想を書いては小説への愛を感じていた。でも今回はそれがない。佐藤友哉の歴史の中で『デンデラ』がとても重要な作品であることも、とてもよくできた傑作であることもよくわかる。読んでいて面白いし、ミステリ的なオチもよく、ワーキングプアやロスジェネのような社会問題をうまく反映していて、日本の文学の流れにおいても存在感を示している。
では、どうして納得できないのか。それはおそらく、『デンデラ』が20代後半から30代前半の作家として、ロスジェネ世代を代表するようにして書かれた作品だからだと思う。普段どれだけスノッブを気取っていても、佐藤友哉を読むときだけはバカで単純で純粋な男子高校生のふりができた(バカで単純で純粋な男子高校生が佐藤友哉読むかどうかはともかく)。でも、『デンデラ』にはそれがない。確かに老婆たちは若々しく生への執着に満ち満ちているが、だからといってそこにまどろっこしい自意識はない。だからぼくは、『デンデラ』を楽しめなかったのだと思う。
しかし、『デンデラ』は佐藤友哉という作家の躍進を感じさせるとてもよい作品だったし、肯定的に受け止めたい。おそらくもう鏡家サーガ本編は書けないのだろうけれど、ぼくが佐藤友哉に望むものはそれだけではないし、『デンデラ』をしっかり受け止めた上でこれからの佐藤友哉の活動を楽しみたい。