『ガラスの街』ポール・オースター(訳:柴田元幸)

ガラスの街

ガラスの街

3/22読了。今年34冊目。
何よりまず『ガラスの街』を柴田元幸の翻訳で読める幸運に感謝したい。もともとは『シティ・オブ・グラス』という邦題で出版されていたが絶版となり、手に入れることができなかった。だからぼくは、どうせなら原書に挑戦してみようかと思っていた。自分の英語力では内容を理解できないどころか、何が起こっているのかさえ解らないだろうことは容易に想像できた。でも、それ以外に読めないとなればそうするしかない。そんなふうに考えていた秋に柴田元幸訳が『ガラスの街』として出版されると知って、心の底から嬉しかった。だからぼくの『ガラスの街』の読書体験は、感謝から始まる。
主人公はダニエル・クインという作家でウィリアム・ウィルソンというペンネームで年一冊のペースで推理小説を書いており、執筆に携わっていない期間は悠々自適の生活を送っている。そこまで読んで、彼はまるでオースターの分身のようだと感じるのだが、そこにまちがい電話がかかってくる。電話の相手は命の危険にさらされていて、私立探偵に調査を依頼しようと思ったらしい。その依頼しようとした私立探偵というのが、ポール・オースターという名前なのだ。「ポール・オースターですか? 私は殺されようとしている。あなたに護って欲しい」もうこの時点でぼくはこの小説を傑作だと決めつける。もともとメタフィクション的な語りが大好きで、質の良い悪いに関わらず過剰に反応してしまうのはよくわかっている。でもその上で、オースターへの信頼にかけて、ぼくはこの小説を信じることにした。
そもそも好きな作家の作品を読むという行為はとても難しい。期待し過ぎる、他作品との関係にこだわる、あらかじめ勝手なイメージを作り上げてしまう。失敗はいくらでも犯しうる。例えば『インディヴィジュアル・プロジェクション』は最大の失敗例で、どうしてあんなに素晴らしい小説を楽しめなかったのかいまでも不思議に感じる。それに比べると、『ガラスの街』ははるかにうまく読めた。肩の力が適度にぬけていたし、春休みだから精神的にも落ち着いていた。ほんとうに幸運だった。
その後の展開も最高に面白いのだけれど、いちおうミステリの体裁をとっている小説だから、ネタバレはしたくない。当然ながら合理的な謎解きなんてありはしないのだが、ラストシーンは誰でも戦慄するだろうと思う。名前をはぎとられ、アイデンティティを失い、人はどこへ行くのか。ニューヨークという街の性質をよく知らないぼくにも、その雰囲気は何となく伝わってきた。『ムーン・パレス』や『偶然の音楽』で都会から旅立つことで物語が始まるのは、つまりそういうことなんだと思う。