『烏有此譚』円城塔

烏有此譚

烏有此譚

2/28読了。今年26冊目。
かなりネタバレするかもしれません。ミステリではないですが、様々な仕掛けに驚かされたいならば、この文章は妨げになるかもしれません。
『群像』の2009年5月号に掲載された作品に、注をつけて箱付きで出版したもの。残念ながらぼくは図書館で借りたので、箱に触ることはできなかったけど。
何よりまず注について語らなければならない。本を開くと、書面の上半分が本文で下半分がすべて注釈。本文と注釈のどちらの方が文章量が多いか判らないくらいに注釈が圧倒的。その内容は、普通の注釈のように用語の解説に徹するものもあれば、ユーモアに富んでいて腹を抱えて笑ってしまうものもあり、本文と関係ないところへ話がとんでいってしまったりする。
だが、注釈の量が多い本を作るくらいなら円城塔以外でもできるわけで、この注釈には他にもたくさんの仕掛けがある。
例えば、この小説は全体で二部に分かれているのだけれど、その前半では注釈は本文を置き去りにして先に進んでいく。もっとも差が開いているところでは、そのページの本文の注釈は約10ページ先にある。つまり、注釈の量が過剰だ。
うってかわって後半は注釈が少なくなる。ページによっては書面の下半分は真っ白で、前半で注釈が溢れていたのが嘘のように安定して注が挿入されている。
この仕掛けが持つ意味については、本文に対応項を持たない注として説明されている。それはつまり、前半と後半の本文に関係していて、前半はガラクタが積み上げられた六畳の部屋という状況であり、後半は灰が降り積もってその穴として語り手が存在するという状況だということと対応している。どう対応しているのかはともかくとして。
全体の印象は何となくかなり好きな感じ。たぶん登場するガジェットが好きなんだと思う。灰とか緑とか六畳の部屋とか。
もう一度読んでみたいと思う。というのも、この小説は様々な読み方ができる。まず、本文を読みながらそれに対応する注を読むという読み方がある。他にすぐ思いつくのは、本文だけを全部読んだ後、今度は最初から注を読むというもの。あるいは、本文と注を対応させて読むのではなく、注がどんどん置いていかれるのを無視して、あくまでページ毎に読んでいくというもの。読み方を考えるだけで楽しめて、一つの書物として上質だと思った。