『リヴァイアサン』ポール・オースター

リヴァイアサン (新潮文庫)

リヴァイアサン (新潮文庫)

8/2読了。今年75冊目。
哲学に興味を持ち始めたころに、ホッブズと間違えてオースターの『リヴァイアサン』を手に取ったのがオースターとの出会いだった。そして、手に取ったからにはあらすじを読む。

一人の男が道端で爆死した。製作中の爆弾が暴発し、死体は15mの範囲に散らばっていた。男が、米各地の自由の女神像を狙い続けた自由の怪人(ファントム・オブ・リバティ)であることに、私は気付いた。FBIより先だった。実は彼とは随分以前にある朗読会で知り合い、一時はとても親密だった。彼はいったい何に絶望し、なぜテロリストになったのか。彼が追い続けた怪物リヴァイアサンとは。謎が少しずつ明かされる。

爆死、ファントム・オブ・リバティ、FBI、テロリスト。この小説をサスペンス小説と勘違いするのに、じゅうぶん扇情的なことばたち。そのうえ、「謎が少しずつ明かされる」と続くのだから、ぼくはこの春までオースターのことを「いかにもサスペンス然としたサスペンス」を書く作家だと思い込んでいた。別にこのあらすじを書いた人への恨みを述べたいわけではなくて、『リヴァイアサン』はエンターテイメント小説に負けないくらい波瀾万丈な展開をもちながら、しかし同時に文学性にも富んだすごい小説だと言いたい。

一九九二年に発表された『リヴァイアサン』が、それまでのオースター作品と一番違っているのは、「これは基本的に誰々の物語である」と規定しづらい点だと思う。(訳者あとがき)

言われてみれば、たしかに『リヴァイアサン』は群像劇だ。人間関係が複雑に絡み合い、そしてそれぞれの交友それ自体が複雑だ。たとえば、あるプロジェクトをともに作り上げる共同者だとか、押しかけて大金を供給し続ける同居者だとか。そして、意外なところに因縁があったりするから、登場人物と人間関係を把握するだけでもじゅうぶん面白い。そのうえ、彼らの体験する出来事すべてが不条理で寓話的でどこか悲しい。熱中して、一日で読んでしまった。
あらすじにもあるように、『リヴァイアサン』には政治思想の話題が出てくる。しかし、「左翼か右翼か」といった党派に関するものではなく、「行動するとはどういうことか」であるとか「国家の腐敗」のようなすべての人に共通のテーマで、政治に疎いぼくでも興味を持って読むことができた。あいかわらず柴田元幸の翻訳は冴えていて、読み疲れしなかった。