『スピノザの世界―神あるいは自然』上野 修

スピノザの世界―神あるいは自然 (講談社現代新書)

スピノザの世界―神あるいは自然 (講談社現代新書)

スピノザの思想史的評価については多くのことが言われてきた。デカルト主義との関係、ユダヤ的伝統との関係。国家論におけるホッブズとの関係。初期啓蒙主義におけるスピノザの位置。ドイツ観念論スピノザ。現代では、アルチュセールドゥルーズネグリレヴィナスといった名前がスピノザの名とともに語られる。スピノザはいたるところにいる。が、すべては微妙だ。たしかにスピノザについてはたくさん言うべきことがある。そのためにはスピノザの知的背景と時代背景、後代への影響、現代のスピノザ受容の状況を勉強する必要がある。けれども、まずはスピノザ自身の言っていることを知らなければどうしようもない。そのためには、スピノザがどこまで行ったのか、彼の世界を果てまで歩いてみるほかない。彼が望んだようにミニマリズムに与し、彼の理解したように事物の愛を学ぶほかないのである。

11/1読了。今年86冊目。
スピノザの世界はぼくが今までに出会ったあらゆる思想と違ったものだった。ユークリッドの『言論』のように、いくつかの公理から定理を導き出してゆくことで体系を作るという形式は、一見哲学には不向きなのではないかと初め違和感を覚えた。実際、「実体」や「様態」の定義の部分など、なかなか理解できなくて何度も読み返した。この本面白くないんじゃないだろうかって放り出しそうになった。でも証明された定理を使って哲学的な問いに向かってゆくところくらいからどんどん面白くなってきて、「ゆるし」や「永遠」について語られる部分は特に面白くて何度も読み返した。
ニーチェは手紙の中で、スピノザを自分の先駆者だと言っている。ニーチェは「神は死んだ」と言い、スピノザは「すべては神だ」と言ったのに、確かに何となく印象が似ている。つまり、神を扱うときに「神との対話」なんていうぼくら日本人の中高生にはとても実感が湧かないことを持ち出すのではなく、それをおおざっぱに扱ってしまう爽快感が中二病的な無神論にフィットしているのではないかと思う。思春期に読む哲学として、ニーチェがもっともはまっているのはよく感じることだけれど、スピノザもけっこうよいと思った。こういうのをもう少し若いうちに読んでいれば、と少し後悔した。