『悪霊(下)』ドストエフスキー(江川卓・訳)

悪霊(下) (新潮文庫)

悪霊(下) (新潮文庫)

ドストエフスキーは、組織の結束を図るため転向者を殺害した“ネチャーエフ事件”を素材に、組織を背後で動かす悪魔的超人スタヴローギンを創造した。悪徳と虚無の中にしか生きられずついには自ら命を絶つスタヴローギンは、世界文学が生んだ最も深刻な人間像であり“ロシア的”なものの悲劇性を結晶させた本書は、ドストエフスキーの思想的文学的探求の頂点に位置する大作である。

10/31読了。今年85冊目。
ついに読み終わった。1ヶ月くらいかかった。スタヴローギンの死は、この長い物語の最後を締めくくるのに相応しいと思った。しかし、彼が死に至るまでの重要な場面であるスタヴローギンの告白を、この翻訳では最後に持ってきている。ドストエフスキーはこれを第3部の第1章として書いたらしいが、出版社が家族向けの雑誌に相応しくない内容だとして、掲載しなかったらしい。だからそれまでの訳では元の場所に挿入されていたのに、この訳ではわざわざ最後へと持っている。知っていれば先に読んだのに、とてももったいないことをした。
キリーロフが初めて登場したとき、これが思想の問題にシフトした小説なのだと気がついた。カラマーゾフではキリスト教の価値観が重要なテーマだったため、日本に住むぼくにはよくわからない部分も多かったが、無神論社会主義革命などがテーマだったので、ぼくにも親しめる部分が多かった。フーリエの思想が登場したりステパン氏がかわいそうだったり。
ステパン氏とワルワーラ夫人のことからこの物語は幕を開けたが、息子のピョートルに疎んずられ、ワルワーラ夫人には絶交され、どちら側にも馴染めないステパン氏はひたすらかわいそうな人物だった。フランス語の部分はカタカナで表記されていたが、フランス語本来のイメージよりも、遙かに滑稽に見えるのもその一端を担っていたと思う。最後には熱病に悩まされ、福音書を売るとか言い出して、結局はワルワーラ夫人に見守られて息を引き取った。事件に巻き込まれて凄惨な最期を迎える人物が多い中、悩み続けた彼にはもっとも人間的な死に方が与えられたのではないかと思う。