『コインロッカー・ベイビーズ(下)』村上龍

コインロッカー・ベイビーズ(下) (講談社文庫)

コインロッカー・ベイビーズ(下) (講談社文庫)

コインロッカーを胎内としてこの世に生を受けたキクとハシ。巨大な鰐を飼う美少女アネモネ。謎を求めて舞台は南海の暗い海底に移る。破壊の意志を持つというダチュラの凶々しき響き。果してダチュラとは何か?そして、巨大な暗黒のエネルギーがもたらすものは?現代文学の記念碑的作品の鮮烈な終章。

9/9読了。76冊目。
村上龍は『希望の国エクソダス』と『限りなく透明に近いブルー』だけ既読。『希望の国エクソダス』は2000年の作品で経済を舞台にして中学生が自立していく話で、『限りなく透明に近いブルー』は1976年のデビュー作で主観を極限まで排した描写の純文学。その間にはだいぶ隔たりが感じられて、村上龍という作家像を掴むのを難しく感じていたのだけど、『コインロッカー・ベイビーズ』は1980年の作品でその両方の要素が感じられた。まず、『限りなく透明に近いブルー』のように、麻薬やセックスやグロテスクな描写がたくさん用いられて、純文学の要素が強い。『希望の国エクソダス』へ移行していく端緒として、子供たちの大人を拒絶した成長物語の要素もある。しかし『コインロッカー・ベイビーズ』を名作にしているのはそのどちらにもない部分で、コインロッカーやダチュラなどの暗くて暴力的なたくさんのモチーフだと思う。こういうのは中編である『コインロッカー・ベイビーズ』では表現の方に重きを置いていたため、そういった細かい象徴的なモチーフはあまり出てこなかった。こういうものが読者の想像力を喚起し、文学の可能性を生むのだと思う。

※2009/5/28に書き直しました。