『ブギーポップ・イン・ザ・ミラー「パンドラ」』上遠野浩平

7/22読了。今年73冊目。
2年前の夏に『ブギーポップは笑わない』を読んだ。そのときの読書メモ*1を読んでみると、ライトノベルの表現の特徴を並べ上げたあげく、ぼくには馴染めませんでしたと断じている。これではまるでライトノベルにアレルギー反応を起こしているみたいだ。ひどい。
ブギーポップシリーズのなかでは『パンドラ』が傑作らしいと聞いていたから、図書館で見かけて何となく借りてみた。上遠野浩平の文体は、佐藤友哉西尾維新のような饒舌な口調ではなく、無骨でドライな口調で喪失を嘆く。登場人物たちは喪失を自分のうちにしまい込み、外見的には立派にコミュニケーションをとっている。たぶん2年前のぼくはこういうところに過剰反応したのだと思う(それは、その直後に読んだ『七回死んだ男』を賞賛していることからも推測できる)。
それぞれ変わった方法で未来を予知できる6人の少年少女たちが、事件に巻き込まれて、世界の命運を握ることになるというストーリー。こう要約すると陳腐だけれど、彼らの友情が形成されていく描写はとても自然で、ただ一緒にいるだけで楽しいと特に用事もなくカラオケに集まっている描写はそれだけで価値がある。最後に女の子が発する言葉には揺さぶられた(ほんとうは引用したいのだけど図書館に返却してしまったのでできない)。
時系列が行ったり来たりして始めは穴あきだらけだった物語が完成していくさまはやっぱりファウスト系というか波状言論系というか(両方ともちょっとずれてる)、あの時代にデビューした作家の構造の感覚で、そしてぼくはそういう演出が好きだ。数巻で終わるシリーズなら全部読む気になったかもしれないけれど、10冊以上になるとちょっと敬遠してしまう。