『晩年』太宰治

晩年 (新潮文庫)

晩年 (新潮文庫)

7/2読了。今年67冊目。
twitterなんて何も考えずにやればいいのに、と言いたくなる気持ちもわかるのだけれど、誰かが読む前提で書く文章は(無意識にであれ)何らかの作用を受けているはずで、自意識語りなんてそもそも破綻している。ここまでが前提。
人間失格』はどこからどう見ても告白小説。どうしても三島由紀夫の『仮面の告白』と比べずにはいられず、そして『仮面の告白』の方が数段好きだ。自己言及パラドクスは構造的で否定神学的な問題だから、言語のゆらぎの美しさではなく、精緻な文学的構築性によって対峙するべきだ、というのは屁理屈かもしれない。
とにかく、ぼくは太宰治という作家があまり好きじゃない。読むたびに、日本語がうまいなあ、と嘆きながら、でも絶対に心地よさは感じない。この主人公はぼくだ、とは口が裂けても云わない。
だからこそ、『晩年』はいいと思った。ここで太宰が対峙しているのは、純粋な文体の問題だと思うから。『晩年』を書いた太宰はまだ若い。自意識は文学のモチーフではなく、どこまで逃げても追いかけてくる厄介なものとして捕らえられる。
でも読みながら、日本語うまいなあ、と嘆息した。そこは同じ。