『ニッポニアニッポン』阿部和重

ニッポニアニッポン

ニッポニアニッポン

5/10読了。今年50冊目。
やたら凝った構造の複雑な自己言及から解放されて、阿部和重は『ニッポニアニッポン』と『シンセミア』からは違うタイプの小説を書き始めるらしい。『ニッポニアニッポン』と『シンセミア』は同時期に書かれているのでその両方を読むまでは断言できないけれど、当時の阿部和重に何が起こっていたのか、少しずつ解ってくる。

ニッポニアニッポン』はインターネットで知識と道具を集めた18歳の青年がトキを解放する小説だ。この小説が書かれたのは2001年。2001年といえば、2ちゃんねるは黎明期で、素朴なhtmlで作られたアングラサイトが跋扈していたイメージがある。まだブログではなくウェブ日記だった時代。ぼくは当時9歳でインターネットに触れる機会はなかったと思う。

ニッポニアニッポン』の語りは『アメリカの夜』と似ている。主人公は自分を特別視してテロを妄想する若者で、知識を仕入れることでアイデンティティを保つ。『アメリカの夜』のテロが極めて小規模なのに対して、『ニッポニアニッポン』のテロは実際にテロと呼びうる。でも最大の違いは、『アメリカの夜』の主人公が外向きには何の害もないのに対して、『ニッポニアニッポン』は実際に過去に問題を引き起こしているという点だと思う。佐渡島で会う少女の存在を考慮すると、『ニッポニアニッポン』は過去との戦いのような面をもっているといえる。『アメリカの夜』は客観的にはあくまで素朴な喜劇だった。『ニッポニアニッポン』は悲劇的な側面をもっている。

それまでの阿部和重は、あくまで単線的な展開を拒絶するような素振りを見せてきた。語りは錯綜し、自意識は暴走し、人格は分裂した。しかし、『ニッポニアニッポン』は真実があとから少しずつ少しずつ明かされていくという回りくどさはあるものの、基本的には真っ直ぐで、主人公が成長する予感のようなものがある。『シンセミア』は傑作らしいので、読むのが今から楽しみ。