『白痴(下)』ドストエフスキー(訳:木村浩)

白痴(下) (新潮文庫)

白痴(下) (新潮文庫)

3/20読了。今年32冊目。
ラストシーンがすごい。とにかくラストは圧巻。ついさっき読み終わったところで、その情景が頭にこびりついている。古い小説でこういう感動がえられるのは珍しい。
ドストエフスキーは重厚な小説を書く作家であり、読み終わってしみじみと感動し、長い期間をかけてその価値をかみしめていくような、そういう印象が強かった。『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』や『悪霊』を読んだときも強く胸を打たれたけれども、『白痴』とはまったく違った。『白痴』が特別に優れているというのではない。『白痴』だけ読後感の性質が違う。
ラストシーンの印象が強すぎて他の要素について語るのを忘れそうだけど、登場人物の個性も繰り広げられた思想もほんとうにおもしろかった。
ニヒリストで自意識過剰で、わかりやすく言えば「中二病」のイポリートがとても好きだ。彼は登場した時点で既に肺病に冒されていて、もう長くは保たないことを知っている。そんな彼の行動はすべて惨めで愛らしい。
そのもっともたるものは、彼はムイシュキン公爵の誕生日パーティーにおいて、急に自分の書いた《告白》という痛々しい文章を朗読する。みんなの注目を集め、独り善がりな自殺宣言をする。そして彼はピストルを取り出し、こめかみにあて、引き金をひく。しかし、弾は出ない。そうして彼は自殺に失敗する。
しかし彼は、ただ自分のことだけを考えていたわけではないのだ。彼はロゴージンを理由もなく敵視して、その姿はまるで自分を見ているようでつらかった。だが、彼の勘はまちがいなく何かを言い当てていた。それはラストシーンで明らかになる。
それから、言うまでもなくムイシュキン公爵も素晴らしい。ドストエフスキーは彼を「無条件に美しい人物」として描き出そうとしたらしい。しかし彼は白痴でもある。それらは表裏一体であり、どちらか一方だけを選択することはできない。
また、リザヴェータ夫人はこの小説の大きな部分を背負っているのではないかと思う。彼女はムイシュキン公爵を愛さずにはいられない善人であると同時に、突飛な言動を繰り返す彼を疎ましく思う貴族的な人物でもある。彼女の言動はいつも一貫性がなく、ジレンマが現れている。この小説を締めくくる最後の言葉が彼女から発せられたのも頷ける。