『死霊』埴谷雄高

死霊(1) (講談社文芸文庫)

死霊(1) (講談社文芸文庫)

10/3読了。今年101冊目。
死霊(2) (講談社文芸文庫)

死霊(2) (講談社文芸文庫)

10/8読了。今年102冊目。
死霊(3) (講談社文芸文庫)

死霊(3) (講談社文芸文庫)

10/14読了。今年103冊目。
 まずあらかじめ、ぼくにはこの小説がまったく理解できないことを明言しておく。途中でただ文を目で追うだけで終わらせてしまったところもある。ぼくはとりあえず読みきったというだけでしかなく、この小説について語る資格はないのかもしれない。でも、それなりに長い時間をかけたのだから、いろいろと思うところはあった。
 埴谷雄高は『死霊』で、語り得ないものを語ろうとしたのだと思う。「存在」を超えたところ、あるいは「存在」が「ない」ところについて。確か『デリダ脱構築』(高橋哲哉)で読んだのだと記憶しているのだけど、すべての根源にはoui(ウィ、日本語の「はい」)がある、つまり肯定がある。否定のことばも肯定がなければ成り立ち得ない。「否定」を「肯定」しなければならないからだ。埴谷雄高は「虚体」などの一連の用語を通して、そういったものを表現しようとした。三輪与志が探し求めていたのは「肯定がない空間」だったのだと思う。しかし、いま書いた文章の中にも「肯定」は存在しており、決してそのような世界は表現し得ない。埴谷雄高はその不可能性をじゅうぶんに理解した上で、果敢にもそれに対抗しようとした。そして、内向的な青年たちの対話小説という形式をドストエフスキーの『悪霊』に借りることを選択した。果たしてこの選択が、不可能性に肉薄するために相応しいものであったのかどうか、ぼくには想像も及ばない。しかし、ぼくもいちおう文学の可能性を信じている一人として、この選択は正しかったのだと思いたい。
 九章の最後まで読み終わったとき、この小説はここで完結したのだと思った。しかし、調べてみると、埴谷雄高の中ではまだまだ構想が残っていたそうだ。つまり、作者の死によって終わってしまった未完の小説だということらしい。確かに、この長い高密度の小説の終わりとしては、結末の津田安寿子のせりふはあまりに完結であっさりし過ぎているかもしれない。まだ本質に触れていない思想が多すぎるかもしれない。だからといって、ぼくがこの最後の文を結末として受け入れたのには理由がなくもない(以下、エヴァンゲリオン旧劇場版のネタバレを少し含みます)。まず、第九章の舞台は津田安寿子の誕生日会であり、序盤からいかにも重要な場であるかのように何度も触れられている。そして、まだ存在を獲得していない物質が擬人化して青い服の男として登場しているなど、世界の始まりや終わりが意識されている。この章に入ると、津田安寿子は婚約者である三輪与志の思想に急速に接近し始める。結末で津田安寿子は「与志さんの、虚体、です!」と呪文のように鋭く叫び、ぷつんとこの小説は続きを失う。だからぼくは、三輪与志が「虚体」に達し、完全なる「無」を獲得したのだと思った。それは現実では、埴谷雄高自身の死を以て体現される。と一時間くらいは思っていたのだけど、ふとその滑稽さに気づき、反省した。それにどう考えてもEoEの想像力だ。あまり同じ映画ばかり見過ぎるとよくないと思った。
 とても辛い読書体験だった。中三の冬に『カラマーゾフの兄弟』を読んだときに一ヶ月以上かかっているから、期間の長さだけで見るならそれほどでもない。それに、その間ずっとこの本のことを考えていたわけでもない。でも、眠れない夜にはこの本を手に取り、頭に内容が入ってこなくても眺めていると、ずっと気が重くて、しかしまた夜になると『死霊』の世界に戻ってくる。それを繰り返せば繰り返すほど、日常生活が辛くなっていった。『死霊』には、一人の思索者が人生を賭けた引力みたいなものがあるのかもしれない。ちなみに、この感想はほとんど九章の内容ばかりが参照されている。「自同律の不快」などについてもいろいろと思うところがあるのだけど、それはまた気が向いたらにしようと思う。引用しようと付箋を貼った文が何カ所かあるのだけれど、『死霊』はすべてが多様な解釈の可能性が詰まった名文みたいな側面があるので、二カ所だけ。

 ーーそう、あの頃はいろんなことを考えるものだ。考えてはならぬことも、考える必要のないこともーー考えられる凡てを考えるのさ。それが青春時代の特徴だが……考えてはならぬ考えにはまりこむことが最も魅惑的なのだよ。(『死霊 穵』132ページ)

 ーー私、は、私である、と思うこと、思わせられることが、存在史のなかで存在が巧妙に存在でありつづけようとしている唯一の罠です。(『死霊 窂』353ページ)

 読み終わった勢いで書いた。未消化の部分が多いし、また時間を見つけてゆっくり感想を書けばよかったのだけれど、衝動的に書いてしまった。宿題が終わらない。