『煙か土か食い物』舞城王太郎

煙か土か食い物 (講談社ノベルス)

煙か土か食い物 (講談社ノベルス)

9/26読了。今年97冊目。
第19回メフィスト賞受賞作で舞城王太郎のデビュー作。
13歳の春に『九十九十九』を読んで以来、舞城の本を手に取るのは4年ぶり。『九十九十九』はほんとうにすごい小説で、もしぼくが点数をつけるなら満点をつけるくらいに好きだと思ったけど、その理由は読んだ当時はわからなかった。それから東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生』の『九十九十九』の批評を読み、メタフィクションやメタミステリの存在を知って、『九十九十九』の何がすごいのかを言葉にできるような錯覚を抱くようになった。けっきょくこの4年間はその欲望に従って読書してきたんだと言いきってしまいたい衝動がある。
それくらい『九十九十九』のイメージが強すぎて、舞城王太郎の他の著作のうちどれを読んでどれを読んでいないのか、まったく覚えていない。だから舞城王太郎の作品は長い間手に取らずにきたのだけど、今回読んでみると『煙か土か食い物』は初読だった。『九十九十九』を今冷静に再読してみるとまったく感動がないかもしれないという不安があり、でも今の自分の視点から位置づけ直したいという気もする。今回の読書はそのための試金石であり予行演習。もしこのまま順番に読んでいって辿り着いたら読むし、そうでなければそのままにしておく。
少しだけ『煙か土か食い物』の話。有名な舞城王太郎特有の疾走感のある文体は既に確立されている。ミステリのガジェットの出し方が意味不明なのも、メフィスト賞受賞作でも変わらない。今の評価のされ方を見ていると、この作品でもじゅうぶん純文学で評価されてもいいのではないかと思うけど、きっとメフィスト賞からでなければデビューできなかったのだろう。それと気になったのが引用の方法。いかにも酒鬼薔薇事件に類似した犯人の日記が出てきて、そのすぐあとに酒鬼薔薇事件と類似しすぎだと語り手自身が言う。レイモンド・カーヴァーの詩がそのまま出てくる。他にも変わった方法で引用されている部分がいろいろあるというエントリーを前にどこかで読んだけど、ブックマークし忘れていたみたいで見つからなかった。でもメタフィクショナルな部分はまったく見つからなかった。